2011年9月25日日曜日

人間力を高めて、幸福な人生、幸福なチームを育む。

【人間力を高めて、幸福な人生、幸福なチームを育む。】

 同じ商品・サービスを取り扱っていても、利用する人の感じ方が違ってしまうのはどうしてでしょうか?人間力の違いで片づけてしまうのは簡単にしても、それで解決されるわけではありません。

「感じ方」は買い手、売り手にとって、実は一番大きな共通のテーマではないでしょうか。人の行動のすべては感情を満たすことに向けられているからです。購買行動も感情を満たす行為です。商品・サービスを買うことが目的ではなく、満たした
い感情を満たすことこそ目的なのです。

利用する人の感じ方が違う原因はたとえば接客力の違いに影響されますが、その違いはどのようにして起こっているのか、次のような階層になるのではないでしょうか。

1)商品・サービス
2)技術・知識
3)考え方・価値観
4)BE(存在のあり方)




 この内、他者に見えるのは、1)と2)です。 <技術・知識>だけあっても、ほとんど何も作れないし、サービスすらできません。たとえ作ったにしても人の心に届くものは作れない。つまり売れない。売れたにしても、良いものと何でもいい
を使い分ける2極化した生活者の状況に適した判断で便利よく使われるだけです。
売れるけれど利益は出ないという状況に押しやられてしまう。サービスだって同じでマニュアル程度のことしかできないのです。

<技術・知識>を支えているのは、何を美しいと思うか、何を大事にしているか、何を持って善しとするのかという基準となる尺度があってはじめて<技術・知識>は生かされます。つまり<考え方・価値観>があることで、どの方向に何のために
力を発揮するのかという道筋が出来るのです。

さらに<考え方・価値観>を動かしている<BE(存在のあり方)>という階層があります。BEとは、BE YOU、BE HAPPY、あるいはビートルズの名曲<LET IT BE>のように、存在を表現する存在動詞のことですが、日本には馴染みが薄い概念のような気がしてなりません。

 セリフが魅力のシェイクスピアの作品群ですが、その代表作「ハムレット」の有名なセリフ、"To be, or not to be"の翻訳に窮するのが何よりの証明ではないか
と思うのです。「生きるべきか死ぬべきか」というように訳されますが、苦肉の策であって適切とは思えません。それだけ訳が難しいのはふさわしい概念がないからです。自分は「あるがままにか、あるがままではなくか」ということだと解釈しています。そうすると物語との整合性もあるように思います。


<BE(存在のあり方)>とは、どんな風に働いているのか、どんな風に生きているのか、毎日の暮らしで何を信じ、恐れ、喜び、悲しみ、怒り、聴いたり、話しているのか、態度や姿勢のこと。いってみればこれこそが本心です。

<考え方・価値観>は言葉で伝えることができますが、<BE(存在のあり方)>については、その道のプロを除けば、ほとんど言葉にすることは困難です。だからと言ってないわけではなく、誰にでも必ずあります。ほとんどの場合、ドキドキする、楽しい、腹がたつというように感情で表すのが精一杯で、アサーティブであることのバックボーンです。BE(存在のあり方)に気がつかない限り溌剌とした人生を過ごすことも、コミュニケーションもできない。自分とのコミュニケーションが不全
のまま、他者とコミュニケーションできるはずがないからです。

 本心から離れた価値観に基づいた商品やサービスが売れるはずがないのです。いわゆるコンセプトとは、本心から発したものでありたい。たとえば私たちが仕事と呼んでいるのは、この3つの階層全体であり、人はその全体を感じ取っている、つまり仕事シーンでのお客はこの全体と取引しているのです。安いとか、便利だとかいう理由だけが買う場合の原因ではないのです。言い換えれば買ってもらえるというのは、人間力や仕事力を提供している売り手に向けた共感や敬意の表明なのです。

それは恋愛でもなんでも同じで、真に幸福な恋愛に押し上げるか、逃避の場としての恋愛に成り下がるかは、<BE(存在のあり方)>のあり方によるのです。<BE(存在のあり方)>は生きる構えに影響を受けているのは明らかで、適切化のスキルがライフスキルなのです。

ビジネスシーンでのクレームにあるような「どのような教育をしているのか」という質問は、正にそのことを明らかにした言葉ではないでしょうか。その裏には応酬性へのこだわりがある場合が少なくない。応酬性とは、簡単に言うとギブ&テイクのことで、クレームの場合には対価への不満です。

 日本古来の武術である柔道や剣道で求めた世界と同じように<技術・知識>を生かすには、それにふさわしい<考え方・価値観>と、その根底である<BE(存在のあり方)>に重きを置いた考えに共通している。LET IT BE、つまり「自分道」を築こうという次第だ。

【幸福な人生】
 人間は感情で出来ています。人生は時間で出来ています。感情と時間を機能させるエネルギーが、心身の健康です。健康的な心身を機能させるのが世界保健機構が定めたライフスキルです。「幸福な人生」を実現するには、感情と時間をコントロ
ールするライフスキルと下記の二つの力(条件)のあり方、使い方次第です。

◎外的な力
 仕事、社会的地位、役職、資格、経済力、専門知識、人間関係、趣味・・・といったもので外部の評価に依存するものが中心です。外的な力が効力を発揮する範囲は地域、期間など限定的ですが、「幸福な人生」を築く上で適度に必要です。

◎内的な力
 幸福は外から与えられるものではなく、自らデザインし、自分の心が決めるものです。だからまず、すでに持っている外的な力や条件を喜び、感謝することが大切です。そしてさらに自分と周囲に拡大することを考えます。内的な力は、自律的で
ある点が特長的です。人のお役に立ち喜ばれ、良き縁を創る力の基礎で、内的な力そのものが大きな幸福そのものになります。

【幸福なチーム】
 共に協働する仲間や、生活する仲間が幸福であれば、私たちの幸福感は拡大します。組織はリーダーに大きく左右されるので、リーダーが幸福であれば、メンバーも幸福になっていきます。さらにチーム力によって「幸福な人生」を決定づけるラ
イフスキル、外的な力、内的な力を強化し育むことで、より「幸福なチーム」になります。そして一時期の幸福ではなく、持続する幸福を得るには魅力的な目標設定とそれを実現する人間力の活用が重要です。

【幸福な人生とチームを実現するプロセス】
 内的な力、外的な力を育むエネルギーの根源であるライフスキルを高める行動を実践した上で、習慣化して、持続することで幸福な人生と幸福なチームは現実のものになります。ライフスキルを高める行動とは、自分がしたいこと、ありたい状態、
夢を叶えることです。そのプロセスでは質の高いライフスキルが必要になります。それをハードなことと考えるか、幸福な体験と考えるかは自分の選択です。後者でありたいと思います。

それはPDCA(計画→実行→確認→反省)のサイクルに語り尽くされます。PDCAが必要になるのは、対象となることがうまくいかないからです。うまくいかないと誰でも凹みますが、それを跳ね返すのは自分や周囲への人への肯定的な態度で、肯定的
な考え方、肯定的な人間関係のスタイルが力を発揮します。肯定的な態度はライフスキルの総和である基礎的な力とその発展した力の結晶です。つまりライフスキルを育むには、うまくいかないことを怖がらず、自分がしたいこと、ありたい状態、
夢を叶えることに積極的に取り組んでいくことが一番で、その最中の<BE(存在の
あり方)>こそが幸福そのものなのです。

 人は結果が気になるものです。その結果を勝敗の結果に置くか、勝敗に向かう<BE(存在のあり方)>を結果と見るか、自分の選択なのです。その選択の糸口が、自分は自分であり、他者ではないという「境界」であり、「コミュニケーション」なのです。

「コミュニケーション」が糸口になる理由は、人はひとりでは生きていけないという現実に立って、人間同士の潤いが孤立、孤独から救う鍵だと知るからです。潤いを作るためには拒否、拒絶ではなく、あなたはあなたのままでいい<BE(存在のあ
り方)>を肯定するからです。それを実感するには、勝敗の結果に置くのではなく、勝敗に向かう<BE(存在のあり方)>に結果を見る習慣をつけることです。その習慣化の具体的な手法がPDCAを使うことであり、PDCAを使うために自分がしたいこと、ありたい状態、夢を叶える行為が必要なのです。

 つまりコミュニケーションにもっとも必要なのは自分と相手を励ます力であって、そう思えば自分がどう見られているか、自分を相手より下位に置いた自分への注目しすぎに逸脱のありようが見えてくのではないでしょうか?

繰り返しになりますが、それにしても<BE(存在のあり方)>を膨らましていくのはPDCAを使い倒すことなのです。時に人はそれに疲れますが、停滞期があっても方向と道筋さえ見えていたら、また力を発揮してみたいと思うものです。

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