2010年12月26日日曜日

自己実現の妨害するアンビバレンス

自己実現の妨害をしているものについてお話しましょう。

テレビが特にそうですが、一度持ち上げたタレントがなにか不祥事を起こすと、嘘のように一転して、今度はよってたかって引き下げにかかるということがよく起こります。これはメディアの心理というより一般に見受けられる人間の心理なのです。

このような心理の背景には、アンビバレンスの問題があります。アンビバレンス(ambivalence)とは、「両価感情」「両面価値」「両価性」とも表現されますが、相反する考え、感情が無意識の存在することをいいます。
好きだけれどキライ。行きたいけれど行きたくない。食べたいけれど食べたくない。
指示に従いたいが、従いたくない。話したいけど、話したくない、というようにひとつのことに正反対の感情を持ってしまうことです。複雑な気持ちの裏には不安が潜んでいます。表現を変えるとポジティブ、ネガティブというように受け止め方が違ってしまう原因なのです。

自分の気持ちが未処理のまま、行動をすると相反する感情が湧いてきて行動していても葛藤が続くことがあります。すっきりとした行動と集中には、アンビバレンスの問題をクリアしておく必要があります。

しかし、人生早期にネガティブ体験をした人にとって、欲求に忠実に行動することは危険を感じることが少なくありません。
自分の行動に対する責任を引き受ける勇気が不足しているのですが、体験と共に痛みと不信がしみ込んでいるのはムリもありません。幼児にとってもっとも重要なのは、名誉でも財産でもありません。愛情と保護です。幼少期になんらかの理由で愛情と保護の不足を感じたした場合、臆病になるのは仕方がないことなのです。アンビバレンスは、その仕方なさから生じてきます。

物心がついてきた頃に父親との離別があると、異性不信と共に、子供特有の万能感が裏目に出て、自分のせいで離別が起こったと感じてしまい、時には強いトラウマになることも珍しくはありません。
成人しても、異性の誠実な好意と対峙することになっても、なにか裏があるのでないかとか、いずれ突然離れてしまうのではないかと不安がよぎります。

そこでそこでアンビバレンスが生じて、はっきりとした確信が得られるまでは、率直な態度は見せないというように頑なに繰り返し確証を求めるようになります。ネガティブな面からのアプローチになるので、「好きだけど」は隠されてしまい、「好きじゃない」が表に出できます。デートに誘われても、「行きたい」は隠されて「行きたくない」が意識されます。しかしいくら隠しても、気持ちはあるので抑圧され、抑圧が不十分だと、反動形成という形をとって抑圧しようとします。

反動形成とは、まったく反対の表現をすることです。抑圧が抑え込むだけなのに、対して反動形成は積極的に反対の態度や意見を表現するようになります。相手は表現されたことを真に受け止めるか、混乱します。コミュニケーションは、言葉だけでなく態度、表情などボディランゲージも含めて行われているからです。それらに一貫性がないので混乱するのです。

好きな人を困らせて内心喜んでいるのは、注目されることがうれしいわけで、そこには愛情の希求が存在しています。しかし相手が誠実に受け止めて反応したからといって改善されないのは、アンビバレンスから脱することができないからです。
ですから、その場にふさわしくないコミュニケーションが続くことに対して、助けてくれと言っている声が聴こえるような気がしても不思議ではないのです。

しかし、どのような深い愛情を持ってしても助けることはできません。人は他者を変えることは出来ないからです。それはいい意味でも、残念な意味でも「境界」があるからです。私はあなたではない。あなたは私ではない。だからこそ愛することが尊いといえます。

この境界を冒涜していると、最近のむごい事件に発展します。自分の思い通りにならないと暴力で思い通りにしようとする、簡単に殺してしまう、というのはその典型なのです。

誠実であればあるほど「境界」の前で苦悩することになるでしょう。つらくても悲しくても、仕方がないのです。そこでなにができるか、ひとつだけ残された道が「影響を与える」ことです。

アンビバレンスな行動は相手を混乱させるだけでなく時間、エネルギーを無意味に使い果たし疲弊させます。そこまで熱中することは、熱中する側にも「共依存」の危険が潜んでいます。限度を越えると「共倒れ」になります。健康な精神の持ち主なら、変化の起こらないことに見切りをつけて離別を余儀なくされます。

その結果、異性不信は強化されてしまいます。そして痛みから抜け出そうとして、別の異性と関わろうとします。結果は同じで悪循環が起こります。ただ繰り返されるだけでなくますます悪化します。しかも繰り返すほど安易な関わりになるので異性のレベルも低下していきます。

アンビバレンスを考慮するとき、ポジティブな意思がなければ迷うことはありません。ポジティブな意思があるからネガティブな感情に振り回されるのです。問題は
ポジティブな意思に見合う行動をした場合の責任を自分が引き受ける勇気です。これはビジネスでいうリスクがなければリターンもないと同じです。リスクをどのようにマネジメントするか、それが知恵なのです。

ビジネスと違い、その知恵が裏目に出ます。異性との関係では、他者を動かす企みでほとんどの場合、成功しています。つまり混乱によって支配することに成功してしまうのです。

しかし共依存でない場合は先に言ったように時間、エネルギー、時にはお金までも無意味に使い果たし疲弊させて、離別に向かわせます。共依存の場合には共倒れになります。

どちらにしても、最後には自己否定感と孤独感が待っています。これが悪循環の始まりになりますが、どれだけ循環しても自己否定感と孤独感から逃げることは出来ません。同時に自己実現の妨げになっていて、たった一度の人生を無駄に使ってしまいます。

では、何度失敗しても、懲りずに繰り返す、悪循環の背景にある幼児期からの手法について説明しましょう。

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